離れたから気づくかけがえのない故郷
2024.1.10 大阪府
takayamahubの仲間もこれまでの村では生めなかった新たなつながりです。高山村出身の現役大学生メンバーに加入の経緯と現在の気持ちを寄稿いただきました。

ある日,いつものようにSNSを眺めていると,気になる投稿に目が留まりました。
「信州高山村コミュニティ takayamahub」というアカウントです。
これが,私とtakayamahubとの出会いになりました。
私は,長野県高山村出身で,現在は大阪の大学に通う22歳の学生です。
高山村を離れ,大阪で一人暮らしを始めてから,もうすぐ4年が経ちます。

大阪での日々の中で,高山村との違いを感じたことはたくさんありました。
最寄り駅には歩いて行くことができ,電車はいつだってすぐに来るので,車はほとんど使いません。
水道の水はごくごく飲めないし,雪は舞っただけで大騒ぎです。
私が感じたことは,どちらが良いとか悪いとか,そういうことではなくて,同じ日本という国の中でも,生活や価値観が驚くほど異なることに気づき、それがとても刺激的であるということです。
そして,同時に,こんなことも思うようになりました。
“都会に出たからこそ,高山村というかけがえのないふるさとができた”
高山村の小学校や中学校に共に通った同級生の中にも高山村を離れている人が多くいますが,口を揃えて「高山村は良いところだ」と言います。
私も,高山村を離れたからこそ,高山村の良さや素敵なところを強く感じるようになりました。
きっと,高山村に住み続けていたとしたら,こんなにも「高山村がかけがえのないふるさとだ」と感じることはなかったように思うのです。
高山村との「つながり」を今まで以上に意識するようになりました。
都会に出ていけば,高山村のことを考えなくても生活することはできます。
それでも,高山村のこと忘れるのではなく,何か「つながって」いたいと思い始めました。
高齢化が進み,人口も減っていく中で,自分が高山村を離れてしまうことへの罪滅ぼしなのかもしれません。

そういった思いを持っていた中で,冒頭で紹介した,村おこしチームtakayamahubとの出会いがありました。
存在を知ったその日に,気づけば,公式HPや発起人の方のnote,プロボノ時代のYouTubeまで,時間を忘れて見入っていました。
特に当時の私の心に響いたのは,発起人の方のnoteの一節。
「どれだけ変化がゆっくりでも、3~4年はやり続けてみよう。
それで何も変えることができなければ、
そのまま続けるのかやめるのか、その時に考えればいい。」
村おこしや地域振興,といったものは,すぐに結果が出るものでは無いということくらい私でもわかっていたし,私1人の力が微々たるものであるということも分かっていました。
それでも,それが何もやらない理由にはならないなと,痛感しました。
そして私も一緒に何かしたい,そう思い,代表の方に連絡を送ることになりました。
今はまだ,入ったばかりで大きなこともできていないけれど,高山村の情報発信を自分なりにコツコツとして,1人でも多くの方に高山村のことを知ってもらい,未来に高山村を「つないで」いく,その一端を担うことができたらなと思っています。
(山﨑颯汰)
